天の浮舟


「二ギハヤヒの命」は不思議な神様です。
正式名は「天照国照彦火明櫛玉饒速日之命」とずいぶん長ったらしいお名前ですね。


この神様は天忍穂命の子であるとされています。
天忍穂命は天照大神の子なので、天津神様の子、ということになります。


ニギハヤヒの命は天神から拝領した「十種の神宝」を携え、伴の三十二神を堂々と従えて天浮舟に乗り、河内国の哮峰(いかるがみね)に降り立ちました。


そして再び天浮舟に乗って大和に入り、地方一帯を治めたと言われます。
「神武記」最後のくだりには「ニギハヤヒの命は天の岩舟に乗って大空を飛び回り、この国を見てお降りになられたので、名付けて《空見つ大和の国》という」と記されています。


しかしニギハヤヒは神武天皇が東征して来られたと知るや、治めていた支配地域もろとも神武天皇に権力の座を献上してしまうのです。
ずいぶん、気前の良いと言うか、物分かりの良い神様ですね。


この辺りは、出雲の国譲りの神話に似ていますが、あちらは天津神と国津神のお話し。神武天皇とニギハヤヒの命は同じ天津神の子孫ですから状況は異なりますが‥。


ニギハヤヒの命が天から持ち携えた「十種の神宝」は、大和(奈良県)天理市の石上神宮のご神宝として保管されています。この石上神宮や十種の神宝の話しも非常~に興味深いのですが、自分でもまだよく纏めきれていませんので割愛します。



さて不思議一杯のニギハヤヒの命ですが、一説にはニギハヤヒの命とは、皇統第二十三代、天之忍穂耳天皇のことであり、神武天皇の時代とは大きな隔たりがある‥とする説もあります。

調べれば調べるほどに、諸説入り乱れ混乱してきますが、そもそも記・紀の編纂の目的自体が日本古来の伝承を改竄、抹殺するためのものですので、混乱して当たり前です。


本当の歴史はまだ神様から隠されておりますが、世界の恒久平和実現のため、そう遠くない時期に本当の世界史・日本史が明らかにされていく事でしょう。




前置きが長くなりましたが、なぜ今回ニギハヤヒの命の事を書いたかと言いますと、このニギハヤヒの命が天から乗って来られたと云われる「天浮舟(あまのうきふね)」の事を書きたかったのです。


実はわたし、この天の浮舟に乗った事がありまして‥。


いや、本当です!
但し、あれが本当にニギハヤヒが乗って来られたモノならば、ですけど‥。


ネットで別の事を調べていたら、「益田岩舟」という文字を見つけました。
この益田岩舟なるもの、奈良県橿原市南妙法寺町に現存しているものなのですが、わたしはもう十八年も前に当地を訪れ、岩舟を調べた事があるのです。


それはまっこと、不思議な不思議な物でしたばい‥。


まず、デカい!
重さ推定160t(!!)、長さ11m×高さ4.7mとあります。それが、小高い丘の斜面にドカン!と放置されている。
いつからあるのかは、地域の人にも分からないと言います。
そして形がまた奇妙。
当時撮ってきた写真を見てみると、亀の甲羅のような形状なのですが、その上部は間違いなく人工的に加工されています。
中央には四角形の穴が二つ、深くくり貫いてあるのですが、この花崗岩をこれだけ綺麗に加工する事は大昔の技術では難しいでしょう。
恐らく現在言われているより高度な技術を古代人が持っていた事の証拠になります。
160tのこの岩を、人手で運び上げる事も不可能でしょう。


実際に、人がこれに乗って飛んでいた‥とも思いにくいのですが、わたしは何故かこの益田岩舟なるものが、天の浮舟ではなかろうか‥と感じ取ってしまい、十八年前の当時、いてもたってもいられなくなり、現地を訪れてしまったのです‥。
言うなれば「SLが復活して走る」と聞いて、カメラ片手に現地に駆けつける鉄男君みたいなものでしょうか‥。


まあ当時は、橿原神宮や大和三山、三輪山などを訪れたくて奈良を一人旅したのですが、益田の岩舟に乗りながら(この岩舟が昔、空を飛んでいたのか~♪)とニギハヤヒにでもなったつもりで一人悦に浸っておりました‥。




今日はつい懐かしくて、益田岩舟のことをサラッと触れるつもりが、つい長~くなってしまいました‥。

興味が湧きましたらぜひ調べてみて下さいませ。
(完)


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

面白い 面白い 面白い

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック