予言と預言



しつこいようですが、今回も予言者についてです。


予言と預言は一緒のように見えますが、混同してはならない、似て非なるものだと思うのです。


予言とはいわゆる目に見えない神霊界などからのお告げ、メッセージ的なもの。
良心的な神霊から悪質な神霊まで、様々な波長でメッセージを送って来ます。


受け取る人間側も、波長次第で様々なメッセージをキャッチしてしまう方もいる。
つまり予言は、霊媒的なものです。霊性の高低、人格の良悪に関わらず、体質的にキャッチしやすい人ならば、そこら辺にいる一般の人でも予言者になってしまいます。
良心的なメッセージは参考程度に見るのもよいでしょうが、例えそれが当たっても、信じ込み過ぎないことが大切だと思います。


そのような予言などの類いは、「いつ、どこで、何が起こる」のような、当てもの的な事に感心を持つ人々にもてはやされるからです。





対して預言とは、創造主たる神からの、人類に対する『警告』です。


創造主による計画に感心を持ち、その神意を知ろうと努める人々に対して預言者が伝える警告の書なのです。


旧約・新約を問わず聖書の中で神は預言者に対し

『わたしは終わりのことを初めから告げ、まだ為されていないことを昔から告げていう。《わたしの計りごとは必ず成り、わが目的をことごとく成し遂げる》』

ということを、預言者を通して何度も人類に宣言されています。
従って「預言=神の宣言書」とも言えるでしょうか?


なので、預言が「当たる」のではなく、宣言された通りに「当てる」よう、創造主が世の中をもっていかれるのです。


聖なる創造神の、聖なる計画書(経綸)。ここに、人間の立ち入る権限は存在しません。
預言とは神からの人類に対する一方的な宣告です。



だから人間側も「いつ、何が、どこで起こる!?」という目先の事ばかりに興味を持つよりは、神の警告の内容に興味を持ち、知ろうとすることの方が大事なのではないでしょうか?


「眼光紙背に徹す」ではありませんが、真剣に神のみ心を知ろうと努めるところに、必ず神のご神助が開けて来るはずです。


『求めよ。然らば与えられるであろう。門を叩け。然らば開けてもらえるだろう。
あなたがたは自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。魚を求めるのにヘビを与ええる者があろうか。
まして天に坐ますあなたがたの父は、なおさら求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか』


と、イエス様もおっしゃられています。


そもそも、大地震がはっきりいつどこに起こる、という事は、人間に知り得ません。例え創造主に仕える神霊が知っていたとしても、人間に伝えることはありません。
何故なら

『それはある日突然、盗人のようにやってくる。
その日、その時は、誰も知らない。天にいるみ使いも、子も知らない。ただ、父だけが知っておられる』

と預言者は伝えているのです。
その創造主の宣告を敢えて破るような真似を、み使いがするはずがありません。


ただ、世の中がこうなって来たら、その時が近い事が分かるよう、過去の預言者は伝えて下さっておられます。


旧約・新約聖書の数々の預言者が伝える『神の警告』、また創造主の御神魂をもって第五次元神霊界にご出現された「国常立大神様」が降ろされた『日月神示』などの正統な警告を精読し、神意を知ろうと努め、正しい霊的な生き方を実践することが必要だと思われます。



本当に世の中は押し詰まっています。
イエス様がしつこく警告されたように、くれぐれも、世を惑わす役の「偽予言者」に気を付けて、真・偽を見抜けるよう己を磨いておきましょう。


何故なら真贋を見極める『霊眼』を持つことこそ、これからの激動の世を生き抜く為に重要であると思われてならないからです。




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