道徳心


よくニュースなどの報道を見ていると、人々の道徳心の如何によって、その国の文明の程度をも示しているように感じられることがあります。


例えば中国のパクり製品、パクりキャラ問題や、高速鉄道事故のニュースなど見ると、彼の国の品格を疑ってしまいますものねぇ‥。


孔子・孟子などの誇るべき儒教の教えは、一体どこへ行ってしまったんでしょうか!?


あのようなニュースを見てるだけで、他国の事と言えども、恥ずかしくて仕方ないですもの‥。
自分の国、日本でそんなことが起きたら、一国民として世界の国々に対して恥ずかしくって顔向け出来ない!と感じるのはわたしだけではないでしょう。


日本の学校の授業には一応「道徳」があります。中には「奉仕活動」がある高校もあるようです。
恥ずかしながら、わたしは道徳の授業がどんな内容であったか憶えていないのですが、どうやら日教組の影響なんでしょうか、現在の教育全般は「個人」が尊重され過ぎて「公共」が蔑ろにされている傾向にあるようです‥。


私たちが暮らす社会は多くの人々が互いに交わる「公共の場」。
各自がお互いに他を慮って、自分の不注意や不心得と言われるような行為で周りの人たちに不愉快な思いや迷惑が掛からないように心掛けなければ、自他共に気持ちよく生活することは出来ません。
ですから、やはり一人の人間として、正しい道を教えてくれる、しっかりとした「道徳(公徳)教育」は必要である、と感じます。
まあ当然、親もちゃんと教育する義務もあるでしょうけど、学校でも成長段階に合わせてしっかりと教えてくれた方が、親としてもありがたいですからね~。


「私を退けて公に尽くす」

「個と同様公も尊重する」

「他人に迷惑を掛けない」

「なぜ迷惑を掛けたらいけないのか」

などという当たり前と思われるようなことも、子供の頃からちゃんと教わったか否かによって、大人になって大きな差が出てしまうように思えます。



結局、他を顧みず、己の都合のみを考えると「人の道=道徳心」というものは簡単に消え去ってしまうようです。
畢竟、一人一人の人格が国の品格を決定している、とも言えそうです‥。
国民一人一人の道徳心が向上すれば、自然その国の品格は向上していくものなのでしょう。
ですから「我さえ良ければいい」という自己中心的な思想はやはり「×」なのです。


思いの世界は物質ではありません。思いとは、物質法則の呪縛を超えて良くも悪くも簡単に変化します。
正しく生きるも悪に生きるも、自分の思い=心掛け次第で決まってしまうものなのです。
その人が道徳心を理解し、思いを変えていく決心さえ出来れば、自己中心の思いから、社会・他人を慮る「貴い公の心」が発揮されていくでしょう。
そのような心を持った国民の集合体が「品格ある国家」を形成していくことになるのでしょうか‥。
やはりしっかりとした「道徳教育」は、国家人材の育成という観点からしても必須科目と言えそうです。



‥っていうか、ここまで書いて「おいおい、先ずは自分も天に恥じない行動を心掛けなくっちゃいけないだろ!?」と、自分で自分に突っ込みを入れたくなってしまいました‥。




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