法滅尽経


ちょっと前、手塚治虫原作の釈迦を描いたアニメ「ブッダ」が公開されて話題になりしました。
わたしはまだ観ていないのでDVDになったらぜひ観てみたいな~‥‥と、思っています。


そのお釈迦様は、今のネパールにあった釈迦族の国「カピラ国」王家の王子様で、本名をゴータマ・シッタルタといいます。
お釈迦様は王子の地位にありながら、29歳の時に出家して、厳しい修行に励むようになります。
しかし難行苦行には益がないことに気付いて、ブッダーガヤの菩提樹の下で瞑想に入り、ついに仏法の悟りを開くに至ります。
悟りを得た釈迦は命を狙われる迫害にもめげず、衆生済度に生き抜いた聖人であり、仏教の開祖でもあります。
お釈迦様が説いたのは仏様の教えですが、仏様とは元々、神様が姿を変えられて「仏」に変化(へんげ)されたお姿です。



遥か太古、ようやく人間の創造を終えられた神様は、次に肉体を持った人間や動物が死んだ後に行く「霊界・幽界」をお創りになられました。
その霊界・幽界の教化と救いのために、神界から霊幽界(仏界)に降り立たれた神様が仏様に変化されたのです。


このように、霊質を持たれない高次元神霊界の神様は、霊質を持たれる次元にお降りになられる際には、様々なお姿に変化(へんげ)されることになります。
あるときは「仏様」「観音様」に、またあるときは「龍神」にと、各時代・所によって変幻万化されて、人々の救済に当たられました。
まっこと、ありがたいことです‥。


ちなみに高次元界の耀身(カガリミ)神界の神々様が、霊質を持った第五次元神霊界や肉身に近い霊幽質の第四次元界にお降りになられると、そのお姿が龍体に変化されるということです。
正神の系統の神々様は金龍や白龍・青龍などに変化され、副神の系統の神々様は黒龍や赤龍に変化します。
それで、神霊界にも「大龍神界」というものが存在することになってくるようです。
よく霊視の効く人が、そのお姿を拝することがあり、世界各地で伝説や絵画として残されています。
東洋では龍は神の化身として語り継がれ、西洋では比較的、悪の化身として語られていることが多いようですが、これは特に正神が東洋にお出ましになられて民衆を導き、副神が西洋を担当され導かれたことに影響されていると思われます‥。



さて「法滅尽経」は、釈迦がお亡くなりになられる前に説かれた経文ですが、この説法は永い間世に隠されていた秘文書でした。
この経文の中でお釈迦様は「やがて末法の世が来たら仏法が滅してしまうだろう」と、はっきりと説かれています。
仏法が滅するとは、仏法の霊験・救いが消え失せてしまうということに他なりません。
法滅尽経を読み説けばご理解いただけると思いますが、その末法の世とは正に今の時代のことを指しています。
しかしこれは、仏様の救いの力というものが無くなってしまう‥という訳ではありません。
ただ、お釈迦様が説いた仏法の教えというものが、その役目を終えたということに過ぎないのです。


前に書いたことがありますが、創造主のご計画は「創造」「統一」「自在」「限定」という大きなスパンごとに進展していきますが、「自在の世」は創造主の「真理の掟」や「神のご計画(経綸)」が、どうしても隠される必要がありました。
何故なら自由自在の世は、物質の開発が主眼に置かれていたため、欲心が大いに発達させられた時代だからです。


神々と交流した、清明正直な人間のままだと、どうしても物質開発が進みません。
創造主の計画上、大元の法である真理を隠し、神々様や人間の欲心を促進させなければならなかったのです。
そこで創造主は、神々や人々に欲心を注入されました。
人間は、欲心を満たすために物質を開発して、科学文明を発達させて来たことはご存知の通りです。
つまり「自由自在の世」は、欲心のままに振る舞うことが善しとされ、「副神が栄える時代」言い換えれば「悪が栄える暗闇の時代」だったのです。


何しろ創造主の真理の教えが明らかなままであると、神々様も人類も欲心を促進しにくいため、真理の化身である正神の神様は統治の座を副神に譲渡して引退し、真理は「秘儀」として隠さざるを得ませんでした。


しかし各時代の一部の聖者には、真理は《秘儀》として伝えられていました。
「自在の世」時代の各宗教の教祖様は、真理を教えられていたものの、それを一般の弟子や人々に伝えることは許されていません。
何しろ真理を教え拡めることは、創造主の計画=物質の開発の妨げにさえなってしまうからです。
なので仕方なく、教祖様は許される範囲で仏教や神道、キリスト教やイスラム教、道教や儒教など、各時代、各民族に適した教えを神様から許される範囲で説いて、人々が神仏から離れ過ぎないよう、繋ぎ止めておくことが使命だったのです。


自由自在の世が終わり、限定の世に突入している現代は、真理を説くことを許されない「仮の教え」であった仏教の教えをはじめ、世界中の既存宗教の教えは、その役割を終えつつあるようです。
今、真理を説く偉大な宗教家は存在せず、宗教の救いの力は消え失せて、偽物信仰・霊媒信仰ばかりが幅をきかせる正に末法・終末の時代です。


神の計画上、永き世に亘り隠されてきた「真理の教え」は、今後いつ、どこで、誰によって明確に開示されるのか‥?
私たち人類の救われがかかっている問題なだけに、非常に興味が尽きないところであります。




‥‥だ~いぶ、前置きが長くなってしまいました。
お釈迦様が説いた「法滅盡経」ですが、その全てを紹介するとだいぶ長~くなってしまいますので、一部省略して紹介させていただきます。




《法滅尽経》


『あるとき釈迦はクシナガラにいらっしゃった。
三ヶ月後に涅槃にお入りになる時でもあった。
諸々の比丘と諸々の菩薩と、数えきれない程の人々が仏の元にお参りした。
釈迦は静かに黙して説法をなさらず、光明もなかった。
賢者・阿難は釈迦を礼拝し申し上げた。
「仏が説法なされる時は、威光がいつも現れます。今、多くの者が集まりましたが光が現れません。これは一体どういうことですか?どうぞ、その御心をお聞かせください」
釈迦は沈黙して応じない。
阿難は三度、同じことを申し上げた。
ようやく、釈迦は答えた。
「私が涅槃に入った後、仏法が滅しようとする正にその時、五逆の罪を犯す者が多く現れ、世が濁り、魔道が起こり盛んになる。
悪魔が僧侶となり、様々な所に入り込み、仏道を乱し破壊する。
魔僧は俗人の服を着て袈裟も五色のものを喜んで着る。また酒を飲み肉を貪り、生き物を殺生し限り無く味覚を追い求める。
慈悲の心などなく、お互い憎み、妬んだりする。
真面目に修行する比丘があっても悪魔の変身した比丘たちがこれを妬み誹謗し、寺から追い出す。
悪魔の比丘は寺や廟が荒れたままにする。ただ財を貪り、蓄えることに没頭し、福徳を行わない。
このような者は淫乱で、男とか女とかの区別もしない。仏道が味気なく、廃れていくのはそういった輩の仕業による。
戒律を修めず経文を習得せず、字句の意味を知らず。無理なこじつけを正しいものとし、仏法を理解しようともしない。
驕り高ぶり高名を求め、智も徳もなく学者らしく尊大で、それを栄誉とする。
このような比丘は死後、無択地獄の中に入る。
仏法が滅しようとする時、女人精進し徳を修める。男子怠け、仏法を用いず、目に僧侶を見ること糞土の如し、信心は全く無い。
法が滅しようとする正にその時、諸々の諸天龍神は涙を流して悲しむ。
また雨降らず五穀実らず疫病流行し、死ぬ者が多く、人々は苦しむ。
役人は道理に合わぬ税を取り立て人々は反乱す。
悪人蔓延り海中の砂の如く多い。善人少なく一人、二人となる。
世が終わろうとする直前は日月が短くなり人命も短くなる。齢四十で頭白くなり男子は淫乱で精尽き夭折する。
大水はにわかに起こり、終わることなし。
仏法を信じない者は、世は永遠と考え、富める者、賤しい者を問わず、全ての者が水に溺れて漂い、魚に食べられる。
~中略
仏法滅する時、それは譬えれば、油燈の油が無くなるとき炎が一瞬燃え盛るようなものである。
その後は仏法を説くものは現れなくなる。
その後、数千万年して弥勒が世に降り、天下泰平となり、毒気もなく、雨も程よく降り五穀はよく実る。
樹木は長大になり人の身長も八丈にもなる。寿命八万四千歳となり、救われる者の数は限り無し。』

賢者・阿難は釈迦を礼拝して申し上げた。
「この経文を何と名付け、どのように奉持すればよろしいか」
釈迦答えて

「この経文は《法滅盡》という。一切の者にこの経文を説くべし。その功徳は大きく限りがない。しかしこの経文はやがて僧侶によって隠されてしまうだろう。」

弟子はこの教えを聞いて酷く悲しみに沈んだが、これがよい因縁となり、皆が無上聖真道の心を起こした。
すべての人々は釈迦を礼拝し、帰っていった。』




‥以上です。




途中、一部中略しましたが、その内容は驚く程に現代に当てはまることがお分かりいただけると思います。


イエス様の預言といい、釈迦が説いたこの法滅尽経もまた「現代物質文明が終わる」ことを、明確に告げています。
現代に生きる私たちは、今こそ神仏のみ遣いの警告に真剣に耳を傾け、乱れた世を救い給う「神のみ遣い・救世主」の出現を、創造主に心から祈るべきでしょう。
バラバラに離れ対立した思想、争いの絶えない乱れた今世を救い給うのは、政治家ではありません。金、財力、知力に長けたエリート集団でもありません。
創造主のみ心を理解し得、高い霊性を兼ね備えた「神のみ遣い」にしか、それは成し得ない‥と思うのです。




王家の血筋に生まれ、一切を捨てて衆生済度に明け暮れ、輝く尊い生涯を終えられたお釈迦様‥。
わたしは二十年ほど前に二度、釈迦終焉の地を訪れたことがあります。
山の上にひっそりと佇むそれは、大宗教家・釈迦の塚としては、余りに寂しいものでした。
仮の姿である肉体の塚を気にされるお釈迦様ではないでしょうが、わたしは何とも申し訳ない気持ちに苛まれてしまったのを憶えています‥。


わたしに金銭的に余裕があったならば、せめて小さな石碑だけでも建立したい‥。
今も、そういう想いです。


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この記事へのコメント

きょん
2012年03月07日 00:27
とてもわかりやすかったです。ありがとうございます。私は釈迦、キリストの預言通り、鶏頭の国に弥勒菩薩が出られた話を知っています。
最初は半信半疑でしたが、自分で確かめていくに連れて、今までのモヤモヤが消えて行きスッキリましました。もしよかったら、「ぬか天国」のHPで、いろいろな話という所があるので、読んでみてみて下さい。

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