恐いのは自分の心


インド独立の父と呼ばれるガンジーは「七つの社会的大罪」を世に顕しました。


ポッポ鳩山さんが首相就任時に、施政方針演説で引用したこともありましたね(笑)。
京大の小出先生も、行政監視委員会に参考人で出席された際これを引用され、政治家、東電、御用学者たちを断罪されておられました。


その七つの大罪とは

①「理念なき政治」

②「労働なき富」

③「良心なき快楽」

④「人格なき教育」

⑤「道徳なき商業」

⑥「人間性なき科学」

⑦「犠牲なき宗教」

です。
①~⑦の全ては、見事なほど現代の社会に当てはまってしまっています。




さて、イギリス植民地であったインドの独立運動に挺身したガンジーは、血を流す暴力的な革命ではなく、無抵抗主義で革命を成し遂げた偉人です。
ガンジーは幼少時、グジャラティー詩編の中の

『誰か汝に一杯の水を与えんに、汝またこれに一杯の水を報いんは、これ何ら徳にも非ず。真の徳は、邪に報ゆるに善をもってするに有り』

という一節に非常な感激を受け、この教えを実践しようと心掛けます。
また、新訳聖書の

『目には目を、歯には歯をもって報ゆるは賤し。わたしはなお汝等に言わん。悪に手向かう勿れ。汝、右の頬を打たれたら左の頬をも差し出せ。
汝等の敵を愛し、迫害する者のために祈れ』

というイエス様の山上の垂訓にも深い感銘を受けたと言います。


事実ガンジーは、母国の独立を願いつつも、悪政を敷く支配国イギリスに敵対するのではなく、逆に奉仕活動を行って報いようとしました。
しかしそのガンジーの青臭くも赤き至誠は、当然報われることはありません。
弱肉強食の厳しい現実を悟ったガンジーは、ついにイギリスとの絶縁を決意します。
不当な法律への服従の拒否、租税の拒否、英の押付け教育の拒否、英製品の購入拒否を呼び掛け、

『インドはインドの自立によって立とう!』

と宣言します。


この運動により、ガンジーは幾度かブタ箱に放り込まれますが、不屈の精神のガンジーを留めることはできません。
日本でいえば幕末の志士、吉田松陰の如し‥でしょうか。
いにしえの偉人たちと同じように、不遇の境地を「天の鍛え」として受け取り、さらに霊的に昇華を果たしていきます。


ガンジーは無抵抗主義を

『悪魔の意思におとなしく屈服することをいうのではない。人間の全霊を提げて暴君の意思に抵抗し、挑戦することである』

と述べておられます。
決して諦めることのないガンジーの非暴力主義の独立運動はやがて実を結び、ついにインドは植民地からの独立を果たしたのです。



今現在も、世の中は世界的陰謀に支配されつつあります。いや、すでに支配されていると言った方が正解かも知れません。
しかし陰謀を知って、なお悪と敵対しようとはせず、天の道に正しく歩む人達がいるはずです。
きっとそのような人たちは、考えの相違から相手と敵対し、争いを生み出すような人ではありません。
我欲、物欲、肉欲に駆られ、正しい道から逸れるような人でもありません。
日々、一刻一刻を正しく生きようとし、平和と調和を望みます。
その義人たちの包容力は、いつの日にか、争いの世とは反対の「調和の世界」を生み出してくれるはずだと信じます。
そしてやがて、闇の組織・悪の魂をも呑み込んで、全人類規模の次元上昇をはかるかも知れません。


畢竟、悪魔の意思に抗ずる手段とは、『悪を知って悪を憎まず、全身全霊をもって正しく生きること』が、最上の策‥なのかも知れません。




酷暑や極寒。いかに厳しい自然環境に置かれても、文句の一つも言わず、見てくれる人がいようがいまいが関係なく‥。楚々として咲いて、楚々として散ってゆく、野辺の花のように‥。
いかなる劣悪な社会環境においても、憤慨の声を高らかに挙げるでなく、他を批判するでもなく、ただ自分の使命を全うし、内面の向上をはかっていきたいものです。


厳しい冬を耐え忍べば、やがて暖かな陽光が降り注ぐ春の日が訪れるように、心凍てつく厳しい現実社会の先にも、暖く眩しい神の光が降り注ぐ天国文明が訪れることを信じて黙々と‥。


恐いものは、金融崩壊や人類最終戦争、巨大地震といった現象界にあるのではなく、結局は己の心の内にある「我欲」や「敵対の心」、「他を裁く心」ではなかろうか‥と思えてならないこの頃です。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック