書と墨気


先日、ある方に揮毫していただいたものが届きました。
昔、書道の先生をしていたという老翁に「何でもよいので書いて下さい」と、かなり以前にお願いしてあったのです。
しかしその方は残念ながら先年、暝界へとお帰りになられてしまいました。
わたしもすっかり忘れていたのですが、ご遺族の方が立派な額に入れて届けて下さったのです。
届けられたその額に書かれた書は『清明正直』の四文字でした。


書はその「墨気」に人格が現れるといわれます。
‥なるほど、芸術とは縁ない生活のわたしですが、確かにいただいた書をよく眺めていると、曲がったことが大嫌いで、時に豪胆に叱りつけてくれた老翁の人柄が、筆体に滲み出ているような気もします。
まるで「清明正直に生きるんだぞ!」と、今のわたしに喝を入れられるよう‥(汗)。



書の大家にして元学芸大学名誉教授の、故・田辺古邨先生は、書について次のように語っておられます。



「墨気こそ精神であって、物質ではない。
東洋では墨色と言わず墨気と言った。気は生命そのものであり、筆者の人格そのものである。
高潔さや不潔は、最も如実にこの墨気に現れる。
墨気の気は気韻生動の気であり、これなくしては書は死物となる。」


とし、さらに


「書線は感触である。そのきめの細かさ、粗さは筆者の社交上の人あたりを露呈する。人あたりの悪い人は線の感触が粗い。
書の線はこのように人格を現す。隠そうとすればなお顕かになるのが人格である。人格の下劣な人が、美しい線条を書こうとしても不可能である。」


と看破しています。


文字を書いて現すと、書いたその人の人格が現れる‥。いやいや怖いですね~。きっとブログも同じなのでしょうね~。
パソコンで書く文章に墨気はありませんが、書かれた文章には、書く人の人格が現れてしまうのでしょう‥。


もし、記した文章に人格が現れてしまっているとするのならば、わたしの文章などは、赤面の至りでしかありません…。


ちなみに、古文献の歴史を見てみると、漢字の元は日本の神代文字であって、太古日本から世界に伝播し、中国など東洋で発展して日本に逆輸入された歴史があります。
また漢字は象形文字であって、一字一字に意味があります。
確かに読んでいて、心が洗われるような美しい書や文章もあれば、気分が悪くなってしまうような書や文章もありますものね‥。


人あたりが悪くて霊層も低く、文章力の拙いわたしなどは、不可視な力を有する文字を使って文章をしたため、公開することの重大性を改めて再確認しなければなりますまい‥。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック