狭き門


世界のほとんどの人々は、いずれかの宗教を拠り所として生活を営んでいます。
ちなみに世界の主な宗教別の割合を示してみると、キリスト教が33.4%、イスラム教22.2%、ヒンズー教13.5%、仏教5.7%、ユダヤ教が0.25%などとなっています。
(百科事典ブリタニカ年鑑2009年版参照)


こうしてみると、やっぱキリスト教徒とイスラム教徒の数が圧倒的で、2つ合わせると55.6%にもなるんですね。
つまり世界中の信仰を持っている人の二人に一人はキリスト教かイスラム教のどちらか、ということになるのです‥!


一方、日本人は比較的信仰を持っていることを隠そうとする傾向が多いみたいです。
オウムをはじめとする偽物宗教の乱立によって、宗教絡みの事件がよく世間を騒がせますので、自分はこういう信仰を持っています、ということが憚られてしまうという背景もあるのかも知れません。


しかし、日本人が宗教を敬遠する理由は他にもあるような気がします。
まがい物宗教ならずとも、正しい神仏の教団の教えにも拒絶反応を示す人は少なくないでしょう。
逆に正しい神仏の教えだからこそ、なのかも知れません‥。
なぜなら正しい神仏は善一途であり己に厳しい。それゆえ、その教えを実践しようとすると、日常的に色々な葛藤と向き合う場面に遭遇してしまうことになります。
例えば対立心や怒り憎しみを抱いた自分を発見するとき、自分を責め、恥じ入り、自戒の念を抱き、時には自責の念に囚われてしまう場合もあるでしょう。
また時には悪を犯し、自分はもう二度と神の前に歩むことはできない、と思ってしまい、結局信仰なんて持つのは苦しいし、めんどくさい!‥と思ってしまう人が多いのではないでしょうか。



また、自分の死を思うとき多くの人は不安や恐れを抱きます。
何しろ「死」は、自分が今まで築き上げたもの一切を奪い去ってしまいます。
愛する家族との別れ、あるいはこれまで必死に築いてきた地位や名誉、富を、一切奪い去ってしまいます。
いくら巨万の富を得ようと、あの世に持っていくことはできません。
死の不安や恐怖を取り除くために正しい信仰を持つ人は幸いですが、執着心が強い人は意識的に死を遠ざけ、宗教を敬遠してしまいがち‥。
また、自分の力で成功を掴んだ人ほど神仏に頼ろうとはせず、却って神仏を否定する人が多いのではないでしょうか。


宗教は、人間の根本的命題を突き付けてくるものです。
物質的欲が強く、金銭欲が深い人ほど、それらに向き合うのを本能的に避け、唯物的で宗教を否定してしまうものなのかも知れません。




『悪を行っている者はみな光を憎む。そして、その行いが明るみに出されるのを恐れて光に来ようとしない。
しかし、真理を行っている者は光に来る。』




神の真の光はまばゆいばかりに輝き、すべてを白日のもとに曝します。
真理の道とは、我欲・物欲・肉欲・権勢欲など、強い執着心を持った人間には入ることの難しい、まばゆいばかりの光の道です。




『狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道も広い。そしてそこから入っていく者が多い。

しかし、命に至る門は狭く、その道も細い。
そして、それを見いだす者は少ない。』




神のみ前に恥ずべきことのないように、挫折を繰り返しつつも、神の教えに戻ろうとする人は幸いです。
例え悪を犯し、道から逸れてしまったとしても、再び神の道に戻ろうとする人は幸いです。
狭き門に至るには、例え神の教えに正しく歩めない自分がいたとしても、例え道を誤ってしまうことがあったとしても再び、神の前に戻ろうとする強い信念を持たなければ、たどり着くことはできない細い道なのでしょう‥。


ただいま迷子のわたしは、常に道を誤り、悪に走りそうになりながらも、何とか正しい神の道を辿ろうともがいている日常です‥。

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