神は言葉なり


朝晩が妙に冷えるこの頃のせいでしょうか‥。先日の日曜、「のどが痛いなぁ」と言いつつ家族と買い物に出掛けた時。
咳払いしているわたしに息子が「はい、お父ちゃん」と、のど飴を手渡してくれました。


出掛けに「のどが痛い」と言ったわたしの言葉を聞いて、咄嗟に用意してくれたのでしょう。
息子の優しい気配りに感心するとともに、(子供は本当に親の言葉をよぉっく聞いているなぁ~)と実感しました‥。


普段何気なく発する親の言葉も、子供はしっかり聞いています(汗)。
悪い言葉使い、人様の悪口、夫婦ケンカ等、子供の前では厳に慎まねばならないな‥と。




『初めに言葉があった。言葉は神とともにあり、言葉は神であった。』



聖書の「ヨハネによる福音書」の冒頭の言葉です。
これは、神の天地創造の原理を言い表したものと考えます。
想像を絶する超霊力をもたれた神が思念を凝集し、ついに御言葉を発して物質を産み出される。
つまり、神の御言葉によって天地創造の御業が開始された、ということを表しているのでしょう。


これを考えてみると、「思いと言葉の持つ力」というものには驚かされます。
当たり前ですが、先ず最初に心で思って、次に言葉が発せられます。
思いを言葉に発することで思いが具現化され、具体的に現象化していきます。
つまり言葉を支配するのは「心=思い」ということが分かります。
すると、悪い思いを抱く人の言葉は自然に悪い言葉使いになるのは道理でしょう。


日本では古来、言葉を言霊と呼び、言葉には霊が宿るものと考えました。
霊が宿るとは、目には見えないが思いを現象化させる、あるいは現象界に影響を及ぼす力を秘めているもの‥ということでしょうか。


目に見えないけれど、確かに思いや言葉が持つ霊力というものが存在していて、やがて現象化し、影響を与えていってしまう。
それを知っていた昔の人は言葉使いには気を付けていました。
言霊や神霊の存在など気にもとめず、汚い言葉使いが流行する現代に、悪い現象が多発するのは無理もありません。


言葉のみならず、目に見えない人の思いも、発した途端、想念の波となって地球を駆け巡ってしまいます。
自分が悪い思いを抱けば、地球を駆け巡っている悪い想念の波とピッタリと波長が合ってしまい、やがて悪い現象に見舞われたり、悪い霊に憑かられたりして、悪い運命を受けかねない‥ということになりかねません(あ~恐い恐い)‥。


反対に正しい、良い思いを発する人は、良い言葉を発して悪霊をも退け、自然に正しい神霊と波長が合って、良い運命を歩むことが許される‥ということになるのでしょうか。


本当の神様は、万生万物、すべての人が幸せになるよう、分け隔てない慈しみの祈りを発していらっしゃると思っています。
特定の人種、宗教の別なく、すべての生けるものが弥栄えるよう祈るのが真の神様だと信じます。
その神様の波長に自分の波長を合わせることが、正しく生きれることに繋がり、やがては幸せの運命を歩める秘訣である‥のかも知れません。


わたしごとき賤しいものでさえ、天皇・皇后両陛下はじめご皇室の弥栄えを日々祈念申し上げていたら、今では御所の中まで仕事で行くようになってしまったのも、思いが具現化した例なのでしょうか‥。



今日は息子の気配りが嬉しくて書き始めたら、つい言葉使いの大切さにも気付かせてもらいました。
サンキュー、息子よm(__)m
今後もできる限り気を付けます。。。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック